しょーとぽえむ1
コンビニにて
30円値引きのパンに蠱惑を感じ、
2ポイント付与されるために
スマホのアプリをそそくさと用意する
若い頃にはありえない
冬の時代の私がいる
コンビニにて
30円値引きのパンに蠱惑を感じ、
2ポイント付与されるために
スマホのアプリをそそくさと用意する
若い頃にはありえない
冬の時代の私がいる
昨日、久しく「積ん読」になっていた須賀敦子全集第5巻(河出文庫)を手に取ってみた。
数多あるイタリア詩の訳(今回はウンベルト・サバ詩集の部分のみ読了)もさることながら、最後に付された池澤夏樹氏の「詩の悦楽について」というエッセーが秀逸。
「よい詩が多くの人に共有されるとは、まずそれが記憶されるということだ。そして詩人が言っているのと似たような状況で詩は思い出され、引用され、その状況への認識を深める。詩は感情表現の共用のプールである。各人はそこから言葉を汲み出して思いを伝える…」
「誰もが心の奥の方に「若いころ、わたしは…」で始まる記憶を持っている。それがこうして美しく普遍化される。共有のものになる。それが詩人の仕事である。人々の未だ言葉にならぬ思いのために美しい表現を用意しておくこと。その時がきたらすぐに使えるように準備しておくこと。…」
最後にサバの詩を一つだけ。
詩人
詩人は、限りある日々を
生きている、
すべての人間とおなじように。だが、
なんと多様な、日々だ!
一日のさまざまな時間、四つの季節、
太陽が翳ったり、風がつのったりは、
いつも違った、気晴らし、みちづれ。
変わることない彼の情熱にとっては。
朝、起きたときの天気は、
その日いちばんの出来事、
目覚めのよろこび。
なによりものなぐさめは、荒れ模様の
ひかり。たえずざわついている、
よい天気の日々。
群衆のながい行列みたいに、
青空も、あらしも、長くは続かず、
不幸の天使と、勝利の
天使が、かわるがわるに降りてくる。
夕焼けが赤いと、彼はまた愉しくなり、
雲が出ると、彼の幸福の
色も変わる。
心も変わるときがある。
詩人は限りある日々を
生きている。
すべての人間とおなじように。だが、なんと、
なんと、すばらしい日々だ!
普段から折にふれて俳句(のようなもの)を詠んでいるのですが、ロシアの風物や文化にかかるものをふたつほど。
くりくりとほむらゆらしてワシーリー (聖ワシーリー寺院)
大通りゴーゴリの影ほのめいて (ネフスキー大通り)
最近ちょっと俳句にハマっています。
オススメなのが、代表的若手俳人の佐藤文香さんの句集「菊は雪」。
現代俳句に付きもののあの難解さに満ちているかと思いきや、意外とすんなりわかるのが多くて、親しみも湧いてきました。
後ろについている「菊雪日記」という創作ノートも秀逸で、一冊の句集が出来上がるまでの俳人の道程が興味深く綴られています。
それにしてもあれだけ沢山の秀句を紡ぎ出せるとは… すっかり脱帽です。
洋梨を剥く手が洋梨とまざる
シャンパンや雲のはやさに月は慣れ
夏に通つた道だ座れば雀来て
大人一人帰宅マンゴーは氷菓に熟れ
綿虫やいばらの棘のしろがねに
認知症サポーター養成講座
先日、某精神医療センターで認知症サポーター養成講座を受講してきた。講義とDVD(大鶴、裕木両氏主演のドラマ「バアちゃんの世界」他数種。全ての自治体がこの教材を使用しているかは不明)によるものだったが、個人的にはある事例に基づく最後のDVDに最も感銘を受けた。
京都で認知症の母親と暮らしていた男性が、いわゆる介護離職をし、職と住まい、そして手元まで全て失い、河原で心中しようとして自分だけ残ってしまったという実話である。
かろうじて残っていたわずかなお金でコンビニで最後のパンを買い、二人で分けあって食べた後おもむいた川岸で、「お前はあたしが産んだ子だからあたしが殺したる。」という母親の言葉を聞いて、とっさに首を締め、自分だけが取り残されてしまった…
法廷でこの話を聞いていた検事が嗚咽し始め、ついには廷内は涙で溢れ返った。被告にはこの上ない同情が寄せられ、裁判官からは温かいねぎらいの言葉がかけられたという。
このビデオとよくマッチした楽曲も相まって、私も涙をこらえるのに一苦労だった。最後にきてかようにエモーショナルなビデオに遭遇するとは!
将来的には高齢者の5人に1人が認知症になる時代が来るという。もはやひとごとではなく、つくづく多くの人がこの病気に関心を持ち、共生への道を歩むべきだと思った。
飛鳥山スカイラウンジ(飛鳥山タワー)
まだまだずっと長いことそこに存在すると思っていた建築物が、いつの間にか姿を消している… そんな時、一抹の喪失感とさみしさを覚え、無常感を抱いたことが何度かある。
東京都北区はJR王子駅に隣接する飛鳥山公園の北端にかつてそびえていた「スカイラウンジ」もそのひとつ。通称飛鳥山タワーとも呼ばれ、京浜東北線の車窓からよく見える、公園のランドマークでもあった。なにせ解体されてから約30年も経ち、私が上ったのがそのまた昔ときているので、記憶になにかと怪しい節があるのだが、とりあえず覚えている限りのことを書いてみよう。
少額の入場料を払うと、その係のオバチャンがそのままエレベーターガール?になって、かなり古びた殺風景な箱に乗り込み、一緒に展望台まで上った。
360度眺望の効く窓のそばには数多くの丸テーブルと、向かい合う2つの椅子が置いてあり、40分で一周するとのこと。ただこれが異様にのろくさとしているので、何もしなければかなり退屈しそう。たまたま持っていたリーダーの本を読みつつ、窓外の景色を愉しむことにした。
回転軸に当たる場所にはクリームソーダやポップコーンの売店があり、それなりのサービス精神は感じられた。
ここで一点、特に強調しておきたいことがある。それは、このラウンジから眺める光景が非常に優れていたことだ。あの中程度の都会度を有する王子駅周辺のスーパーを初めとする味わい深いたたずまいや、眼下に広がる飛鳥山公園のこんもりとした緑。それらが妙なリアリティをもって目に映る。何よりも地上40メートルという展望台の高度が絶妙だった。このラウンジがなくなる要因の一つともなった「北とぴあ」の展望台からの眺めは、遥かかなたまで見渡せてスケールこそ大きいが、あのスカイラウンジからの味のあるそれには及び難い。
一応40分いただろうか。またあのオバチャンと一緒に、今度は降りる時がやってきた。実は少し気にはなっていたのだが、長いことテーブルに突っ伏している一人の若い女性がいた。時たま見せた顔に、この上ない落胆の色が浮かんでいた。古ぼけた箱の中でオバチャンが淡々と言う。「あのコ、失恋しちゃったのね」
私も全く同感だっただけに、その女性がひとしお不憫に思われるのだった。
塀のある記憶
長い塀があった
日差しの強い午後
ふもとに延びる濃い陰は
暗くじめじめとはしているが
どこかミステリアス
そこになにが存在していただろう
その謎めいた領域を
そのまま謎としてとっておきたいような
不可思議な感覚
いま
記憶のかなたから
心地よい微風とともに吹き寄せるのは
ただ
素朴なピアノの調べ
近所の子供が奏でる
ブルクミュラー
貴婦人の乗馬…
ほりぐちシェフ (堀口大学氏に)
ほりぐちさんは名コックだった
フランスの名だたる詩人たちが
丹精込めてはぐくんだ食材を
いつも彼一流のレシピで
いとも鮮やかに調理して
ぼくたちの待つテーブルに供してくれた
ほりぐちさん ありがとう
とっても美味しかったよ
国立科学博物館の特別展に行ってきました(オンラインチケットを初めて使用)。
11時半から午後2時半まで、約3時間も鑑賞してしまいましたが、何よりも有益だったのは、今までなじみの薄かった古代エジプトにグッと親しみが湧いてきたこと。ちょっとミステリアスなあの時代も、今のイスラム的なエジプトとはまた違った魅力があるようです。
また、もちろんレプリカではありますがロゼッタストーンやツタンカーメン王の黄金のマスクもよかったし、シナモンと線香を混ぜたような猫のミイラの香りも新鮮な体験でした。
リニューアルされた博物館の前の広場はとても広々としていて快適(国立西洋美術館前の庭が改装中でした)。
上野駅構内のちょっとオシャレなカフェでランチをとって帰宅。とても充実した日になりました!